東京・八王子で座禅の体験 人間禅 八王子禅道場 - 最新エントリー
メインメニュー
検索

ブログ - 最新エントリー

坐禅から学ぶもの(3)   大石如法

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/8/19 16:01
 四国も歩いて周りました。京都にも足を伸ばしまして、臨済宗の天竜寺さまでは平田精耕老師、建仁寺さまでは湊素堂老師に教えを請いました。湊老師の参禅会に参加した際、一枚のかわいい子どもの絵を頂きました。この絵を見て、ちょっと境地が違うなと思いました。さらにお寺全体の掃除が行き届いています。良い道場というのは、裏に行けば分かるんです。建仁寺さまでお手洗いをお借りしましたら、台がありまして、毎日毎日何年も雑巾で拭いているせいか、ぴかぴかなんです。ぱっと天井を見上げましたら顔が映るんです。天井も雑巾掛けしてあるんですね。これは本物だと思って「来年の春から来ます」と言いました。宗派が違うわけですが、そんなことは関係ないのです。よろこんで迎えて下さいまして、また一から修行です。そんなことで何年か過ごした後、最初の最乗寺さまの余語翠巖老師の元に戻りました。そこで八年過ごしまして、さまざまなご縁をいただきました。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (23)
 今、私は「万人にみな仏性が生れながら宿っている」、これが大乗仏教の根本教理だと申しましたが、その仏性は万人において一味平等であります。金持の仏性だから大きい、貧乏人の仏性だから小さい、聡明な人の仏性だから組織が緻密であり、頭の鈍い人のそれだから組織が粗雑であるなどということはありません。端的に申せば万人の仏性は分量も等しければ、その質も同じで平等であります。人間が平等ということは、今日では常識になっていますが、皆さんは、いったい、人間はなぜ平等だ、何において平等だとお考えになっておられますか。「憲法に書いてあるから平等だ」では答えになりません。憲法なんかに規定していなくとも、人間は太古の昔から平等なのです。「万人皆仏性をそなえ、その仏性は等質、等量である、それ故にその仏性において万人は平等である」というのが、大乗仏教の見解なのであります。又、人格は何故尊厳なのかについて、大乗仏教は、すべての人間は仏性をそなえている、いわば、自らの肉体の内に神とも仏ともいうべきものを宿している、それ故に尊厳なのだと説くのであります。大乗仏教はこのように、デモクラシーの根本原則であるが長い歴史の間に、さまざまな社会的条件に影響されて、いつの間にか人間の差別を強調し、支配階級に都合のよいイデオロギーに成りさがってしまった観があります。これは、まことに遺憾なことで、本来の仏教の姿にもどすことが、今日の仏教徒の使命であります。
 なお、脱線ついでに、もう一つ脱線しておきましょう。皆さんは禅の修行というものを、どのように考えておられますか。多くの方々は禅の修行はむずかしいもの、高遠なもの、と考えておられるようですが、元来、禅の修行というものは何もむずかしいことでも、高遠なことでもありません。今申しましたように、皆さんに、この心身を離れずに仏性が生れながらに円満に宿っておるのです。その仏性を坐禅の行を通じて発見し、発見したらこれを育てあげていき、自分を立派な佛に仕立てあげる、それだけのことです。皆さんは、自分の家のどこかに100億円のお金がかくされていると聞いたら、それを見つけようと必ずや熱心にお探しになるでしょう。ところで仏性なるものは、100億円とか何兆円とか何とも値ぶみの出来ない無上の宝物です。100億円を探すことには骨身を惜しまないのに、仏性という無上の宝物を探そうとしないとしたら、それは本末転倒だと申さねばなりますまい。この点、何卒よくお考えいただきたいものであります。

芳賀幸四郎講師略歴
1908年、山形県寒河江市に生まれる。東京文理科大学(現筑波大学)卒業、同大学教授を経て1971年定年退職。大東文化大学教授。
文学博士。
耕雲庵立田英山老師の法嗣で人間禅師家。
著書 「東山文化の研究」「千利休」「禅入門」「禅語の茶掛・一行物」「五燈会元鈔講話」など多数。
1996年 帰寂

この講演は、人間禅四国支部平成1992年11月21日、JA高知ビルで行われたもの。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (25)
人間禅附属宏道会(剣道の会)の暑中稽古が、7月28日から始まりました、
小学校一年生から77歳までの会員が8月2日まで稽古をします。
稽古の初めに、正しく・楽しく・仲良く、を唱えて稽古をしていますが、この語について少しく述べてみたいと思います。
先ず、正しくとはどういう事かと云いますと、絶対に変わらない正しさであります。世間一般に云われている正しさとは違います。誰かが決めた正しさでは無いのです。例えば法律的や道徳的で決められた正しい事とは、時代によっては変わることもありますし、多数決による正しいことも変わることがあります。これは本当の正しい事ではありません。ここで云う正しいと言う事は、不変である正しい事であります。絶対に変わる事のない正しさを指しています。お釈迦様が暁の明星を徹見して開かれた悟りそのものであります。
お釈迦様が悟りを開かれた時、「天地と我と同根、万物と我と一体!」と叫ばれたその絶対の見地が、この「正しく」であります。 この正しくは、真理に合掌する事であります。次に後日楽しくについて述べさせて頂きます。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (36)

白の香   鈴木翠珠

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/7/25 20:20
白の香。今のところそう表現しようがない。それを一際強く感じるのは毎年恒例で参加している十二月の冬季宿泊坐禅会(鎌倉の円覚寺)である。ここで行うことといえば、只管坐禅・作務・経行。吐く息が白く凍てつき、手足の芯はかじかむ。修行中は防寒具も靴下も履いてはならない決まり。芯から凍える寒さを裸足から一身に受け、歯の根が合わず、身震いも止まらなくなる。更け行く時間をただただ己と向き合うだけである。今年を含めると六回程度参加している。何故こんなつらい目に遭いに毎年参加するのだろう。
   最初は寒さとの「闘い」であった。ガチガチと鳴らす歯を必死で抑えようと、懸命に大きな呼吸を繰り返す。しかし、決して止まらなかった。次に、寒さとの「調和」になった。寒さを「寒さ」として受け入れる。ありのままを受け止める。身震いはなくなったわけではないが、最初よりも大分治まった。最後は寒さからの「超越」になりつつある。寒さを越えた先が、あの白の香である。例えば、一晩中雪が降り、静寂な朝を迎えることと似ている。微かに立てる音すらも雪の白さに吸収され、今まで目に慣れた風景が白色の無の世界に一変する。鎌倉の地は都会の喧騒から一切離れた場所。山門を閉じた後は毎日白の香に包まれる。その先にあるのは寒さによって恵みを得た、気高さや勤勉、忍耐強さである。
寒さは生きとし生けるものに味わいを与えてくれる。和菓子作りに欠かせない寒天。冬に作るからこそ質が良くなる。津軽のこぎん刺し。幾何学的なあの美しさは野良作業ができない真冬に女性達によってもともとは作られていた。例を挙げればきりがない。
人生は選択の連続で彩られている。何かを選べば、何かは捨てる。選んだ結末に後悔せず、自律した人生を歩んでいくにあたって、あの白の香が間違いなく今後の糧となるだろう。あの寒さを内包した香ともつかない香に私は今も惹かれ続けている。      翠珠記ス
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (42)

坐禅から学ぶもの(2)   大石如法

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/7/14 12:41
 私が最初にあがった修行道場は小田原の大雄山最乗寺さまでした。成願寺さまともご縁が深い古刹ですが、一年目は辞めたくてしょうがなかったんです。カレンダーに一日過ぎると✕印を入れるくらいでした。毎日毎日✕を入れるのですが、果てしない。百日くらいそうしていますと、だんだん飽きてきまして、ちゃんとやらなければいけないな、と思うようになりました。二、三年経ちますと後輩もたくさんできて少し偉そうな気持ちになる。で、もうそろそろ辞めようかなとある方に相談に参りましたら、「偉そうなことを言うようになったね」なんて言われました。ではもう少し修行を重ねようと考えまして、別の道場へも行ってみようかと草鞋を履いて、色々なところを歩いて巡ったのです。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (69)
参加者
一般の方 ベテランの方 3名  新到の方 1名
会員   加藤紫光

クリエイト静座会では、静座を新しい方向けに1回25分を3回行います。(普通は1回45分) 座禅をするのが初めての方でも、椅子がありますので、気軽に取り組めます。少しずつ足を組み、痛みも慣れてくれば和らぎ、集中して座禅三昧になってくるでしょう。一人で座るより仲間と座る方が、励まし合ったり、自分にも厳しくなれたりするので、是非静座会に時間をつけてご参加下さい。また、座禅会だけでは物足りない、本格の道を求める方には、2カ月に1度位摂心会という、老師に指導していただける場もあります。これが座禅三昧になれる近道かもしれません。それぞれの方に合った座禅ができますので、是非ご参加下さい。

クリエイト静座会今後の予定
7月7日、21日  8月4日、18日  9月1日、15日
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (92)

坐禅から学ぶもの(1)   大石如法

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/6/27 15:06
 私はお寺に生まれ、僧侶として生活させて頂いておりますが、若い頃はお坊さんにならないためにはどうしたら良いか、という罰当たりなことばかり考えて過ごしておりました。お寺に生まれますと、お寺で生まれたありがたさが分からない。お寺の息子は駒澤大学を出てお坊さんになる方が多いのですが、私は自由奔放に生活をして、別の大学に進みました。ところが、学んだ学科がインド哲学科というところで、あまり就職先がございませんでした。私の友人たちも、大学を中退してインドの大学に移りたいとか、旅に出てそのまま一生過ごしたいとか言う変わり者が多かった。そういう学生に対して先生たちも変った人が多くて、「いいねえ。生きるってことはそういうことだ」なんて言うんです。私が「お寺の息子です」と言いますと、「そうか、それなら修行するといいかもね」と気軽く言われる。私も、これまで自由にさせてもらったことを考えれば、やはり修行に上がることが仏飯をいただいてきた恩返しかと考えて、昭和の終わり頃に頭を剃って、修行道場にあがることになりました。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (78)

数息観   加藤紫光

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/6/19 17:26
座禅の数息観は素晴らしい、とできる人は言うが、できない人や初心者は、本当に良いだろうか、つまらないと思う人は多いだろう。「馬鹿みたいに座れ」とも言われる。そう言われると、馬鹿みたいになれない人もあろう。一朝一夕には数息観の良さは解らないが、精神力が養われるのは間違いない。剣道の大家・故小川忠太郎先生は、「呼吸は精神的食糧である」と言われた。
座禅は、独特の姿勢で足を組み、身体を整える。呼吸を整え、呼吸に心を集中させ、様々の思慮分別等が起らないよう、1呼吸を1つとして、一心に呼吸を数え続けて、いわゆる数息観になり切り心を整えていく。数息観とは心が乱れないよう、煩わしい念慮が生じても、それを断ち切るよう呼吸を数える観法。真剣に骨を折れば、自然と三昧力もつき、心の支柱もできる。心が安定し豊かになる。数息観は、禅の修行の始めでもあり、最後でもあると言われている。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (89)

五葉会   千鈞庵佐瀬霞山老師

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/6/5 15:34
中央大学五葉会に先日顔お出し、会員と一緒に座禅をしてきました。10名弱の若い人たちと一緒に座ると又普段とは違った趣を感じました。
中央大学五葉会は、人間禅第一世総裁耕雲庵立田英山老師が中央大学で教授をされている時に作られた会であります。人間禅を立ち上げの時から支えてこられた先輩が多数おられます。
九十周年を一年前に迎え、100周年に向けて新たな出発となることを願っています。一月に一回は出かけて行き会員と共に座禅をしますので、出来るだけ多くの会員が参加されることを楽しみ参加させて頂きます。
霞山拝
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (101)

骨を折る   松田大愚   

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/5/26 21:06
もくもくと、雑巾で床を拭く。それだけの、シンプルな掃除。
懸命に打ち込み、ただ、ひたすらに、骨を折る。
全身全霊を傾けて、馬鹿正直に、骨を折る。
効率や、見返りを期待するものでもない。
懸命に、ただその時、その時に、全力で骨を折る。
久しく忘れていた、けれども大切な、肚からの感覚。
吸う息、吐く息。意志と身体とが、力強くひとつになる。
日々の行いを思い、磨かれた床に、映る自分が、恥ずかしくなる。
吸う息、吐く息、そして、全身で骨を折る。
その打ち込みの繰り返しのなかで、心が、磨かれ、そしてつくられる。
敬虔さや謙虚さが、ただ自然と、あらわれる。
骨を折る。
そのことの尊さが、今になって、少し分かった気がする。
少しずつ、取り戻していくんだ。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (151)
Copyright © 人間禅西東京支部 2007-2013